キヨスク・キオスク・KIOSKその2
さて、続きです。
キヨスクの経営は国鉄時代には鉄道弘済会が担っていました。鉄道弘済会と言うのは、昔鉄道の運営がまだまだ危険と隣りあわせだった頃、殉職者や負傷者、その家族への福祉を担うことを目的に設立されました。キヨスクの売店も夫が殉職したいわゆる未亡人が生活の糧とするためにつくられたのが発端なのです。ですからもともと強い公益性がありました。勤務形態は今よりもハードだったようですが、その代わり給金の面ではかなり優遇されていたようです。そういうことが販売員のモチベーションを高め、キヨスクならではのさまざまな売り方や仕事の仕方につながってきているのです。文化といってもいいでしょう。
長年営々と積み重ねられた文化が大きな転機を迎えたのが、まず国鉄の分割民営化でした。分割された時にキヨスクもそれぞれの地域JRの子会社に分けられたのです。それによって運営会社それぞれの個性が出てくるようになりました。それでもまだキヨスクはキヨスクだったと思いますが、大きな転機が最近訪れました。言うまでもなく電子マネーの登場です。東日本キヨスクでは親会社JR東日本の経営政策にあわせるようにキヨスクの店舗運営を大きく変えました。それが「レジ」の導入です。キヨスクにはレジなんてものがないからこそ一度に5人の客を相手にするような離れ業ができたのですが、これができなくなりました。そのため店舗の合理化を進めました。一時登場した新聞の自動販売機などもその一環でしょう。キヨスクでは週刊誌や新聞の売り上げウエイトが高いですから(週刊誌の中には駅売店の売り上げが実売部数の7割に達するものもあるそうです。だから電車に中吊り広告が出るわけですね)そこを合理化することでレジがあっても対応できるキヨスク作りを目指したのだと思います。しかしこれは不評だったようで、今ほとんどの新聞自動販売機が撤去されました。他にも缶ジュースなどを販売員がケースから出すのではなく客に取らせたりするなど、さまざまな合理化策を取ってきました。レジを使えないとスイカで物を買うと言うことがそもそも出来ませんから試行錯誤したのだと思います。
しかし先ほど「文化」と言う言葉を使ったように、キヨスクの店作りは歴代の販売員の努力と工夫の結晶なのです。それがあるからこそ2~3坪の店に600~700アイテムもの商品が並び、一番売るところでは一日1000万(1991年当時)も売り上げていたのです。レジの導入はキヨスク文化の否定でもあったと思います。
一方コンビニ文化も駅の中へ入ってきて東日本のニューデイズや西日本のデイリーインといった店が作られました。前にも書いたようにコンビ二は面積が広いので棚割り表をつくって決まったところに決まったものを補充すればいいようになっています。ですから販売員がアルバイトでも勤まります。
今回東日本のキヨスク大量休店の原因はリストラの失敗といわれていますが、それが本当だとしたらコンビニの販売員の時給に比べてキヨスクの売店の販売員の給料が高いことに対して幹部の理解が浅かったのでしょう。
求人広告を見ると現在の募集条件は社会保険完備、住宅手当支給ですが最初は契約社員で月給180000円(大宮地区)~187000円(東京都区内)だそうです。社員登用もありとのことですが、どうですか?やりますか?勤務形態は前の記事に書いたように大変不規則です。また交代要員をのぞいても休日日数の関係から最低でも3人の販売員でチームを組んで店舗を運営する必要があります。チームワークも大事です。個人的にはもうちょっと待遇をよくして販売員のモチベーションを上げる工夫をしないと、キオスク文化そのものが滅ぶのではと思うのです。キオスクを変えていくのはなんといっても現場の販売員の力です。今までもそうでしたしこれからもきっと新しいやり方を編み出すのはオフィスにいる幹部ではなく現場の販売員さんでしょう。
参考図書:KIOSK 駅の世相店(INAX BOOKLET’91-NO.Ⅲ 1991年9月刊)
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