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2007/04/18

害と碍

「しょうがいしゃ」とキーで打ち込んで変換すると当然のごとく「障害者」と出てきます。他に変換の余地はありません。そのくらい障害と言う言葉に「害」を使うのは当たり前のことですが、よく漢字の意味を考えてみるとなぜ「害」なのか分かりません。差しさわりがあると言う意味で考えると「碍」のほうが適切です。そこで障害者のことに理解のある人たちは出版物などに「碍」の字を使います。

自分はそのことを知っていて、あえて「害」でいいと思って使っています。なぜかというとこれだけ「障害」という使われ方が浸透している中で、「障碍者」と書くとごく一般の人は「そこまで考えて特別扱いしなければならないんだ」と思って引いてしまうと思っているからです。障害者は特別な人ではありません。障害があるからと言ってそれだけで不幸かというとそんなことはない。あくまでも周囲の人との人間関係や社会との交わりの中で不幸になったり幸福になったりする。本人の捉え方も大きい。これはつまりいわゆる普通の人となんら変わらないということです。確かに身体障害を抱えている人が例えば車椅子でしか移動できないなど、不便なことはいくらでもあるでしょうが。耳が聞こえづらくても補聴器もあるし手話もある。いつも書いている駅のホーム柵設置など、手を貸して欲しいと思うことはいくらでもありますが、努力と工夫でなんとかなるものだと思います。いや、努力と工夫の余地のない人もいるでしょう。でもそれだけで不幸ではない。人間関係の中で不幸にも幸福にもなる。そういう意味で特別な人と捉えて欲しくない。だからじぶんはこれからも障害者と表記します。

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