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2007/03/07

考えるということ

自分が愛読しているメルマガに

「社長と幹部と社員のカン違い」から目を覚ませ!!

というのがあります。以前は日経BP社のホームページにコラムを書いていらした小山昇さんという方が、社長を務めるダスキンのフランチャイザー(株)武蔵野の社員も動員して発行されているメルマガです。うわさがうわさを呼びいまや2万人を超えるほどの読者がいます。

小山さんと言う方は実にユニークなものの見方をします。それが本質を突いているだけにいちいちうならされるのです。先日などは社員の採用面接の話を書かれていましたが、「素直な人が欲しいので、面接の時に『手を動かしてください』といって手を動かせた人は合格」だそうです。これはたとえばの話でしょうが、新人を採用する時に自分が人事担当だったとしてもやはりいい学校を出たかどうか、勉強が出来るかどうかではなく素直な人が欲しいです。素直な人は教え込めばどんどんスポンジのように知識技能を修得して間違いなく戦力になってくれるからです。自分の親方新井もまだ学生だった頃から劇団員の採用にあたって「素直」を条件としていました。自説に凝り固まっている人は、人のいうことも聞けず先々伸びないし素材としての面白みも出てこないのです。

ところで先週のメルマガでは「考える」ことがテーマとなっていました。小山さんは「考えるとは過去の体験を思い出して整理することです。体験、経験がないと考えられません。組み合わせを変えることです」と書かれています。例として「あなたの自宅の間取りを書きなさい。かけますね。次に私(小山氏)の自宅の間取りを書きなさい。かけませんね。データが無いからです。データの無いことは考えられないのです」と述べられ「データベースは経験。だからいっぱいチャレンジして失敗した経験が必要」と述べられています。

ところで、日本の教育ということを考えた時、自分の経験則から言うといまさら驚くほどデータベース作りの時間がありません。自分で調べる、納得するという手間のかかる作業をホントさせません。最初から正解を示してそれを暗記させることが教育だと勘違いしている教員が掃いて捨てるほどいます。だから小・中・高と12年も学校へ行っても何も身につきません。自分が「身についた」とはっきり感じられるのは中学校の文化祭で公害をテーマに取り上げて班毎に取材に行った時の経験と、高校の地学の授業で当時住んでいた埼玉県春日部市にある旧公団武里団地の地盤沈下の状況を有志で調査した時の経験くらいです。むしろ学校外で身についたことが多いです。例えば大学時代に大手地図メーカー「ゼンリン」のアルバイトで住宅地図改定にむけて、指示されたエリアの住居を一軒一軒回って歩いた時の経験(人口密集度が高いほど居留守を使われたりして、他人を警戒する。田舎は知らない人間の訪問でもまずは座布団とお茶が出てくる)や劇団「電気曲馬団」の製作で、演出にビー玉を使うことがあって、おもちゃ屋さんを何軒か回って「浅草橋に問屋があり、そこならいろいろなビー玉を扱っている」と言うことを教えてもらい、浅草橋へ通ってさまざまなビー玉と出会えたことなどきりがないくらいいっぱい出てきます。

この地図のバイト、ビー玉探しとも一軒一軒まわって断られたりしかとされたりと壁にぶつかりながらも乗り越えていくことで結果的に目的の情報にぶち当たる経験をしてきました。これが「やってみなければわからない」という今の自分のスタンスの大本を築いたといえるかもしれません。

受験に受かるための要領の良い勉強は、実は「考える」ためのデータベースとしてはほとんど役に立ちません。要領の悪い勉強法の方が逆説的ではありますが「考える」データベースをつくる上で有効です。つまづいて失敗して、「これじゃだめだから次」と自分で答えを見つけていく訓練がほとんどなされないのはなぜでしょうか?下手をすると大学院までこんな教え方をしています。こんな教育をしていたら国が滅びると思います。

就職しても、教えられる機会は非常に限られます。OJT(オンザジョブトレーニング=実際の仕事を通して教育する)などとうまいことを言って、実はその人の能力の10分の1も引き出せない企業・組織がおおい。「即戦力」ばかり求めて育てることを全然しないのです。なぜかアメリカ育ちの企業は教育熱心で、ディズニーランド然り、マクドナルド然り、スターバックスコーヒー然りなのです。日本企業ででまともに育ててくれそうなのはリクルートと星野リゾートくらいか?と思います。学生がそこに殺到するのもよく分かります。

自分が最近「フリースクールの教師」になりたいと思うのは、既存の学校教育の枠組みでものを教えるのが不可能だと思うからです。年末に町屋堂さんの奥さんの知人で、愛知でフリースクールをやっている方とお話しする機会があったのですが、「フリースクールは一種の英才教育だ」とおっしゃっていました。やはりフリースクールだけでは食べていけなくて他のお仕事もされているそうですが、これからの社会においてフリースクールが果たす役割は相当大きくなりそうな予感がしています。私立に行っても受験対策だけの学校なら行かせるだけお金の無駄遣いでしょう。自分で調べることを通して「考える」ためのデータベースを育てていくこと。これこそ「生きぬく力」だと自分は思います。

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