犯人探しはやめてください
夜回り先生こと水谷修先生が27日広島であった講演会で
政府の教育再生会議がいじめをした児童・生徒への出席停止措置活用を報告案に盛り込んだことについて、「いじめる側を排除するのは悲しい」と語った。
そうです。詳しくはこちら
いじめはいじめる子どもを単に排除すれば解決する問題ではないことは、こころある教育関係者ならおそらく体験的に分かっているでしょう。むしろいじめる子どもが大きな家庭での問題を抱えていたりしてサポートが必要なケースも多いです。犯人探しは決していい結果を生みません。
犯人探しは成果主義の裏返しのように見えます。個人の成果はその個人だけでもたらせるわけではありません。青色発光ダイオードの特許訴訟でこういったことが議論されましたが、自分はやはり個人の力には限度があり、人が力を発揮したりアイデアをひらめかせたりするのは「環境」が物を言うと思います。環境というのはつまり人の輪だけでもないと言うことです。
優れた人材ばかりを採用している会社が必ずしも業績優秀にならないのと同様、いろいろなバランスが整ってこそ新しい発想が生まれるのだとおもいます。それと同様、環境を整えない限り「犯人」を排除しても同じような人がまたすぐに現れいたちごっこになるでしょう。
個々の問題への対応力が求められます。自分の身近で、保育園に勤めてうつ病になった人が何人か居ますが、学校も同様、先生の間で心の病が流行していることはよく言われます。子ども・親・同僚や上司という3種類の人間関係の中でバランスをとっていくのは今や相当難しいことになっていると思います。価値観の多様化が限度を超えています。払えるのに給食費を払わない人があんなにいるとは。給食の「いただきます」と言う挨拶すら言う必要がないと考える人たちも出てくる中で、一定のバランスを維持していくためには逆説的ですが一人ひとりの育ちの背景にまで踏み込んで人一人をまるごと理解しようとする努力が求められるような気がします。そのためには予備校が作る大学院大学なんてものでさらに頭でっかちになることよりも、沢山の人と交わって、沢山の価値観を実際に見聞きすること、そして一人ひとりを尊重することを体験的に学び取ることのほうがずっと役に立つでしょう。一人ひとりをまるごと尊重できれば「いじめっ子」「いじめられっ子」という二元論的発想から物を考えようとすることそのものがナンセンスに思えるはずです。
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