お産を考える2(書き直し)
ずーっと気になっていた「お産を考える」を、予定した中身と変えて2とします。
これを読む前にもう一度「お産を考える1」 「お産を考える2」 を読んでいただければと思います。
参考にさせていただこうと思っていた「ロハスメディカル6月号」では、医療が「お産」という本来病気ではない出来事に介入することで母子の安全が飛躍的に母子の安全が確保できるようになったことが説明されています。これを当初2として書くつもりだったのですが、なかなか筆が進まないので視点を変えてみます。
最近低落傾向だった出生率に改善の兆しが見られると聞きます。その一因に自分と同じ世代の、ついこの間までなら「高齢出産」といわれる年齢で出産する人が増えていることが挙げられています。このことは自分にはとても納得のいく話です。
昭和40年代生まれは丁度就職する頃に男女雇用機会均等法の恩恵を受けられるようになった世代です。確か自分の就職する2~3年前から銀行でも、一般職と違う総合職という名前での採用が始まりました。総合職というのは法律の趣旨を体現するもので、男子行員と全く同じ条件で営業もするし、転勤もありありというものです。それまで女性で銀行に就職すると窓口係などを専門にしていて、多くが社内結婚でやめていくというパターンでした。言葉は悪いですが、今にして思えば男子行員のお嫁さん候補としての採用だったといえます。しかし総合職にあえてチャレンジする女性は、自分のキャリアプランというものを相当考えて入社したと思います。そうした場合、10年くらいは仕事に没頭してはじめてその仕事がキャリアとして生きるようになります。自分も10年社会人として会社勤めをしてきたことが、今100%の力で仕事ができなくても後で生かせるという自信になっています。
そんな風にある程度のキャリアを積んではじめて、やはり女性だから結婚もしてみたい、子どもも生んでみたいという気持ちになってきたのだと思います。それが30代後半になってからのお産の増加につながっているとおもいます。そこに従来は危険視されていた高齢出産が、医療の進歩で割りと普通にできるようになってきたという要因が重なった結果今の流れができてきたのではないかと思います。
ただ医療の現場では100%安全なお産なんてありえないという認識があると聞きます。それはそうでしょうね。一昔前のお産というのはまさに命がけだったのですから。それに対し、生むほうの意識としては母子ともに安全が保たれるのが当たり前という認識になっています。ここに考え方の落差があります。
医療過誤訴訟の中で産科がらみが8分の1、賠償額では実に半分が産科領域なのだそうです。ところがそれに見合う収入を医師がもらっているかというと、ほかの科の医師と変わらないのだそうです。ですから必然的に医学生がリスクの高い産科を敬遠するという図式になっています。
お産はいったいどうあるべきなのでしょうか?これを3回目に引き継いで書こうと思います。
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