JR西日本の背負う十字架
JR西日本の脱線事故からもうすぐ1周年。新聞各社がキャンペーン記事を載せ始めました。それを見て思うところを書きます。
JRの本州3社(東日本、東海、西日本)はいずれも株式上場を果たしましたが、その中で一番苦労してきたのがJR西日本だったと思います。それは、東日本は首都圏の他の私鉄を圧倒する路線網、東海は日本の2大都市を結ぶドル箱東海道新幹線と、両方とも国鉄時代にほぼ収益源としての基盤を持っていたのに対し、西日本は国鉄時代の投資が少なかったため自前で収益源を作っていかざるを得なかったところにあります。東日本ではJR移行後電化されたのは相模線と八高線くらいなのに、西日本では移行直前から奈良線、和歌山線、桜井線、片町線、山陰本線(一部)福知山線、小浜線、姫新線と言ったローカル線が次々と電化されていきました。それまでディーゼルカーが1時間に1本あるかないかという路線ばかりです。それがJRになってから快速電車などが次々と増発され、やっと「アーバンネットワーク」と呼ばれる首都圏並みの都市近郊路線網を作り上げ、関西大手私鉄に対抗できるようになってきました。福知山線や嵯峨野線(山陰線)は内陸の盆地と京都、大阪を結ぶ立派なトンネルを掘ってローカル線のイメージを一掃させました。福知山線(JR宝塚線)はもっとも増発本数の多い路線で1時間に一本のローカル線が7~15分間隔の通勤路線に変貌しました。沿線の三田市が10年連続人口増加率日本一だったことからもその急激な変化の度合いが読み取れます。
一方中国山地や山陰地方のローカル線はJRになってからどんどん収益が悪化していきました。他のJRが赤字線の廃止に一定のめどを立てられてからJRに移行したのに対し、西日本は赤字路線の廃止と言う命題にも取り組まなければなりませんでした。しかしやっと廃止できたのが広島県の可部線可部~三段峡間だけ。それも5年以上の歳月がかかりました。普段は乗りもしない人々まで押し寄せて路線廃止キャンペーンを展開しました。
中国山地や山陰地方は平坦な土地がほとんどありません。山間部の農地は棚田ばかりで効率も上がらず、高齢化の進展とともにこの十数年日本でも一番寂れてきたところのひとつです。作物を考えても、名前の通っているのが鳥取の梨くらい。米を作るのはたいへんなところです。そういう条件なので山陰本線そのものが「本線」ではなくローカル線のつぎはぎ状態になっていますし、その支線はもっとひどいです。木次線は国鉄時代広島から米子までの急行列車が通っていて存在意義のあった路線ですが、いまや山間部は1日3本のレールバスしかありません。この春の青春18切符のチラシでこの区間がポスターになったのですが、駅周辺も森のなかで集落がないほどのところです。こんなところが他にも姫新線の一部や芸備線の一部、福塩線の一部などいっぱいあります。国鉄時代に北海道の路線で100円稼ぐのに1000円以上かかるローカル線がたくさんありましたが、今はほとんど廃止されています。西日本にはこんな路線がまだいくつもあります。中国山地や山陰地方は昨年旅行した時も、東北地方より厳しい生活条件だと思わされました。東日本では甲信越地方以外の地方部はほとんどが新型の省エネ電車に置き換わっていますが、西日本では東日本が3月で全て廃車にした古い電車がいっぱい走っています。車両の更新までお金が回っていないのがありありと分かります。
そういうアンバランスな経営状態の中事故が起こりました。私鉄に対抗するため、多少遅れてもあとで取り返せるような運転時間の余裕がありませんでした。他の路線を見てもそうです。京都~大阪間の新快速は途中高槻に停車するようになったにもかかわらず所要時間が29分のまま。国鉄時代に新大阪に停車させ始める前はノンストップ29分だったのですから無茶にもほどがあるのです。
事故後JR西日本では余裕時間を持たせたダイヤに修正しました。ここに至るのにしかし大きすぎる犠牲を払ったものだなと思います。事故原因が明らかになったころ、日経新聞のコラムで、今まで書いてきたようなJR西日本の収益構造を説明した上で、事故を起こして多くの犠牲を出すくらいなら赤字線を全廃して山陽新幹線と近畿圏の通勤輸送だけの会社にしたらどうか、との極論まで出ていました。それはやりすぎにしても一日3往復~5往復のレールバスだけで細々と運営し、乗客も1日30人なんていう区間は廃止やむなしでしょう。中国山地や山陰地方の過疎化は鉄道があれば止まるようなものではなく国家的問題で、公益性が高いとはいえ一私企業に負担をかけるべき性質のものではないと思います。
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