イトーヨーカドーと自分の10年戦争
自分は以前10年ほどマイカルという大手スーパーに勤めていました。最初の1年はおもちゃ売り場で自転車とサンリオショップの担当をして、翌年から紳士カジュアル売り場の主任になりました。昔の自分は着る物を自分で選んで買うのが大の苦手で衣料のことはまったく分からなくて、入社する時の面接では第一志望を食品とし、「絶対に衣料にまわさないでください」といって会社に入ったのです。それなのにいきなり衣料の主任になってしまって、最初は本当に大変でした。本当にアルバイトよりも低いレベルで、パートさんに教えてもらいながら少しずつ衣料のことを覚えていきました。今は「一人分とは思えない、一家族分の量より多い」と友人に言われるほどの衣料持ちですが、仕事場で買ったものが多いです。なにしろ着てみないと分かりませんものね。
関東エリアではほとんどの店が競合店としてイトーヨーカドーを抱えています。自分の配属された店も同じ商圏に3つもイトーヨーカドーがある環境で、自分の売り上げ予算も当然大事ですが、「イトーヨーカドーに負けない売り場を作る」というのが自分の一番の目標でした。予算が達成できても自分の目で見て売り場作りが負けていたらうれしさも半分以下。逆にここまでやったと思える時(ほとんどありませんでしたが)は、予算未達成でどなられても仕方ないじゃないかと思えました(延々と罵倒されるのはたしかにきついですけれどね)。90年代のイトーヨーカドーは、さまざまな小売業から注目されるほど、売り場作りや品揃え、人の使い方などが優れていたのです。ですから今週のアリオ川口をみて「背筋が寒くなった」というのは決して誇張ではないのです。あんなばかげた会社ではなかったのです、本当に。自分で自信を持って売り場を作っても、競合するヨーかどーに行って「今週は勝った」とおもったのは10回に1~2回。たいていは自信をくじかれて自分のもち場へ帰って作り直しを余儀なくされました。
今思えば、イトーヨーカドーというライバルがいたからこそ自分は伸びることができ、今でも売り場の良し悪しが分かるのです。自分の売り上げだけ気にしていたら、バブル崩壊後の不景気で特に紳士衣料のマーケットは縮小するばかりで予算を達成できるのは年に3回くらいでしたから、怒られて、くさって、すぐ仕事が嫌になっていたでしょう。
ちょっと今日はダウン傾向なので続きは次回にしたいと思います。
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