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2005/07/13

バスと鳩ヶ谷

昨日は、うちにいるのもいらいらするし、かといって学校へ行くとたとえ勉強するつもりが無くても胸苦しくなりそうで、考えた末鳩ヶ谷の郷土資料館へいってきました。

鳩ヶ谷は江戸時代、県内屈指の三八市が開かれ大変にぎわったのだそうです。今は川口にある浦和の裁判所支所も昭和初期には鳩ヶ谷におかれていたとか。

地下鉄が開通した今でも市民の足として貴重なバスはなんと1916年(大正5年)に川口~鳩ヶ谷間に開通、1928年、御成街道筋の荒川に新荒川大橋がかけられた後1929年(昭和4年)には現在の赤羽~鳩ヶ谷間のバスが開通しているのだそうです。ですから中居、前田、樋の爪など旧村落の名前がバス停に残っているのですね。(前田は現在南鳩ヶ谷駅に改称)地下鉄が開通する前前田のバス停前には商店があり、自分が引っ越してきた頃にはファミリーマートになっていました。これが「前田たてば」の名前を持っていたのですが、たてばと言うのは昔のバス停の意味だそうですね。今は駐輪場になっていますが「前田たてば駐輪場」と言う名前を使っています。バス停があったというのは大きなインパクトだったのでしょうね。

一方鉄道は赤羽から川口・蕨へ引かれ当初浦和で高崎線と東北線が分岐する予定だったところ、岩槻が鉄道に対する無理解から通過に反対した為、今のように大宮で分岐し蓮田を通るようになりました。これとは別に武州鉄道と言う鉄道が蓮田から岩槻、鳩ヶ谷を通って川口につながる予定でした。しかし残念だったのは蓮田側から引いたため、1919年(大正8年)に岩槻~蓮田間、1936年(昭和11年)に岩槻から神根(現在の川口市内。新井宿駅の北西でグリーンセンターの近く)まで開通しているのですが、その2年後第一次世界大戦や金融恐慌のため会社が倒産し廃線になりました。これ、川口側から引いていたらひょっとすると今でも残ったかもしれませんね。

鉄道から見放された鳩ヶ谷はバス網が発達しますが、鉄道が通らなかったダメージは大きく、やがて以前の賑わいも失われてきました。1940年には一度川口市と合併(戦時中のいろいろな理由によるものらしいが詳しくは書いていません)し、10年後に再度分離。1967年(昭和42年)に市制施行となりますが4年前に地下鉄が開通するまで長らく「陸の孤島」と呼ばれつづけました。

鳩ヶ谷市街地には蕨・西川口・川口・赤羽の各駅へのバスが乗り入れます。赤羽行きは15年くらい前まで、荒川大橋を経由するもののほかに、三ツ和台地を縦貫し川口市に入らずに直接都内足立区に入り環七経由で乗り入れるものもありました。このほか市街地の北端にある鳩ヶ谷バスターミナル(浦寺操車場)からは浦和、岩槻へのバス路線もありました。陸の孤島鳩ヶ谷ならではの「鳩ヶ谷フリー定期券」なる物が発売され、今でも続いています。これは例えば、朝の通勤時は渋滞して遅延が激しい赤羽行きではなく西川口駅に出てしまい、帰りは本数の多い赤羽からのバスに乗るなんていうことができる定期券です。この定期券の存在は鳩ヶ谷市民しか知らないでしょう。

結構長くなりましたが、まだまだあるので続きも書けたら書きます。

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コメント

鳩ヶ谷営業所・・鳩ヶ谷市のミニはーと・
川口市のみんななかまバスと池袋→新井宿
線・観光タイプの貸切バスに日野自動車が
導入されています。戸田・蕨・さいたま・朝霞
の車両もいすゞではなく、三菱とかあります。
行政が・(市営バスの受託運行なので)用意
したバスですが。

投稿: 昭鉄鳩ヶ谷 | 2005/08/16 22:52

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