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2005/02/06

べてるの家

「べてる」を説明する為にまずは文章を引用したいと思います。(朝日新聞2000年8月7日社説「世紀を築く」)

 

「えりもの春は、何もない春です」
  森進一のヒット曲で知られる北海道・襟裳岬に近い浦河町。ここに「浦河べてるの家」はある。浦河日赤病院の精神科病棟を退院した人たちが、12年前に10万円の元手で昆布を買いつけ、産地直送事業を始めた。それがいまや年商1億円、100人を超す元入院患者が働く地元の大企業である。

  歯を食いしばってがんばったわけではない。合言葉は、「安心してサボれる会社づくり」「利益のないところを大切に」「弱さを隠さず、弱さをきずなに」である。
  「べてる」は旧約聖書の「神の家」からとった。精神病の豊かな個性をむしろ持ち味に、浦河の町に溶け込む姿、そこに新潟や会津若松、名古屋の人々がほれ込んだ。費用を出し合い、映像記録「ベリー・オーディナリー・ピープル/予告編」を作った。すでに8巻になる。
  コピー自由とあって、手から手へと広がり、全国各地で「べてるの風」を吹かせている。映像の主に会いたいと、人口1万6千の町に年間1000人以上がやってくる。
  何が人々をひきつけるのか、それが知りたくて、浦河を訪ねた。仕事場では、20人ほどが、その日に働く時間を報告しあっていた。管理職はない。勤務時間は体調を考えて自分で決める。大きなテーブルを囲んで、だしパック、おつまみ昆布などの商品が作られていく。笑い声が絶えない。
  昆布加工のほかに、紙おむつの配達、住宅改造、清掃、引越しの手伝い、ごみ処理など、町の人が必要なものを見つけては、漁協や地元企業と協力して事業化してきた。訪問者の航空券の手配など、旅行代行業も手がける。
(中略)
  昔からこうだったわけではない。日高管内初の精神科ソーシャルワーカーとして、向谷地生良さんがこの病院に着任した1978年当時、入院患者は近所の店に納豆を買いに行くにも「三日前の外出届」を義務付けられていた。退院者が殺傷事件を起こし、住民の目は不信に満ちていた。
  いまは、退院者たちが小中学校や高校に招かれて体験を話す。「分裂病と言う病気に誇りを持っていて、素晴らしいと思いました」と、ファンレターも舞い込む。
  幻聴や妄想は、「変に思われるから他人に話してはいけないもの」「薬で消さねばならぬもの」というのが、多くの精神科医の見方である。だがここでは「幻聴さん」と呼んで体験をおおっぴらに話し合う。
  地域の人たちと一緒に開く「心の集い」では「偏見・差別大歓迎集会」などを企画して率直に話してもらう。年一回の「幻覚&妄想大会」は、いまや、町の名物だ。(後略)

引用がながくなりましたがこんなところです。メディアに取り上げられることも多く、自分は昨年の読売新聞「医療ルネッサンス」7月27日~30日の記事で「べてる」のことを知りました。精神福祉にたずさわる人間なら皆知っているようで、自分の主治医も、受けたいと思っている福祉専門学校の教員、卒業生などみな知っていました。

統合失調症(精神分裂病)は幻聴や幻覚に襲われる病気ですが、かなり過酷な人間関係などが根底にあって発病する人が多いようです。地域や時代、文化背景などを問わず100人に一人がかかる一般的な病気で、発病の一時期などを除けば社会生活を送ることができると言います。しかし実際に社会生活を送っている人は限られていて、多くはその必要もないにもかかわらず家族が引き受けないなどの理由で入院しているいわゆる「社会的入院」を余儀なくされています。家族が引き受けないのは社会的な差別の問題(精神病の患者を出した家系と言うだけで白い目で見られるなど)のほか家庭崩壊、経済的な問題などがあります。

今では「べてるの家」はもともと浦河周辺に住んでいた人ばかりでなく首都圏や関西などの遠隔地から来たメンバーが一割を占めるそうです。「重症」と見られていた人も参加しています。

べてる関係の本を読んでいると思わず笑ってしまうことがしばしばあります。とても笑い事ではないような話がここでは笑いごとになってしまう不思議な効果があるのです。その秘訣と思われるエッセンスがあります。「右下がりに生きる」事をよしとする価値観です。

 誰でも、子どものときから大人に至るまで、勉強にしろスポーツにしろ、他人より秀でていることを善しとする価値観の中で精一杯生きている。歩けなかった赤ん坊が歩き始め、知恵がつき、言葉が与えられるのと同じように、出来なかったことが出来るようになるのが、まるで人間の当然のプロセスであるかのように。   しかし元来、人間には人としての自然な生き方の方向というものが与えられているのではないか。その生き方の方向が「右下がり」である。昇る生き方に対して「降りる生き方」である。   現実には多くの人たちが病気になりながらも「夢よもう一度」の気持ちを捨てきれず、競争しつつ「右上がり」の人生の方向を目指している。何度も何度も自分に夢を託し、昇る人生に立ち戻ろうとする。ところが不思議なことに、「精神障害」という病気はそれを許さない。「再発」というかたちでかたくなに抵抗する。まるで「それはあなた自身の生きる方向ではないよ」と言っているかのように。(べてるの家の「非」援助論P39)

私たちは資本主義の競争社会にあまりにも毒されてはいないでしょうか?小さな子どもを英会話教室に通わせたり、勉強が出来ないとしかったり大手会社のサラリーマンや公務員といった単一の生き方を強制したり。親が東大卒なので子どもも東大に入れないときがすまないなんていう大人、いないようで結構多いみたい。あるいは自由に生きろといって放任して、子どもはなりたい自分ってなんだろうと分からなくなって結局仕事を転々としたり。べてるの価値観はそういった競争社会の価値観のアンチテーゼといえるのではないでしょうか。

もうひとつ参考になる発言があります。

 

 苦しんでいるときは「ダメな自分のままでいいんだ」ということを受け入れられない自分に無性に腹が立っていました。しかし今では「ダメなままの自分を受け入れられない」ので、悪戦苦闘の結果として「悩むこともすべて放棄する」ことにしたのです。そういう遠回りをして、やっと「ダメな自分のままで良いということがこういうことか!」とわかるようになりました(同P117)

ダメな自分を受け入れるということは、自分を大事にする・愛することだと思うのですが、理屈ではないところに答えがあるのですね。

べてるにまつわる本に「悩む力」(斉藤道夫著、みすず書房)と言うのがあるのですが、これは以下のことを言っています。精神科病棟では人として当たり前の苦労が奪われてしまいます。実生活の中で私たちは仕事や恋愛や家庭やその他いろいろなことで悩みながら過ごしています。しかし精神科病棟は「保護」の為の空間なので、ほとんどそういうことを考えなくて良いのですね。人間関係などに疲れ果てて病気になった節はそういった「保護空間」が必要ですが、快復しても社会的入院を余儀なくされるとかえってそれは人間としての生きる力を奪ってしまいます。べてるに参加することはそうした苦労を取り戻す作業でもあるのです。ですからべてるはいつも「問題だらけ」。それを「三度の飯よりミーティング」で問題を共有していくわけです。

 

 薬は症状の緩和と予防には効果があるが、いかに生きていくかというその人固有の人生課題の解決には当然のごとく無力である。人につながり、人に揉まれ、出会いの中ではじめてその人らしい味のある本当の快復が始まる。だからべてるでは、誰からともなく「勝手に治すなよ」とも言われる(同P109)

人間関係で傷ついたとしても、それを最終的に癒すのは人間関係であり、ひとつ傷を乗り越えることでその人の度量も大きくなる。それは病人も健常者も変わりないのです。

ながくなりました。ひとまずここで切りたいと思います。

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コメント

なんちゃんさん、こんばんは。
 コメントありがとうございます。
 記事、読ませて頂きました。この記事に限らず、深く洞察され、主体的に考えていらっしゃる感じ、私はいいなぁと思いながら読ませて頂きました。
 そうなんですよね、何も変わらないんです。障害者も、高齢者も、子供も、生産性では語れないのですよね。だって、人間なんですもの。

 誰もが、その人なりの悩みや苦悩を持っていて、それをどうやって自分の一部にするか。その過程も人それぞれ。
 
 例えば私のような者は、それにおつきあいするだけ・・・です。出来ることなんてそんなにないけれど、なにがあってもそこに”いる”ということが大切だと思っています。

 

投稿: honma | 2005/05/08 23:06

HONMAさん、こんにちは。

お褒めに預かり恐縮です。

「べてる」の話を知るにつけ、生きるということはこういうことなんだという、当たり前のことを再発見させてもらっている気がします。それと右上がりの価値観に毒されている自分が、「あ、そんなにがんばらなくてもいいんだ」と思えるエピソードでもあります。

病気が「右上がりのがんばり」を許さないのは自分もそうで、現にGWがあけたら勉強開始というスケジュールを初日から見事に崩されています。でもそういう事柄に悩みながら進んでいくのが「生きる」と言うことなのでしょうね。

「寄り添うしか出来ない」というのは、自分も同じ病気で苦しんでいるいとこに対して思う事です。いとこ自身が病気を認めて治そうと思わない限り快復はのぞめないでしょう。ただ自分はいつでも相談なりぐちなりを聞けるよう「そばにいる」ことを伝え続けるしかありません。それぞれの生き方を認め合う、余計な関与を排除する・・・というかこういう病気と向き合う為にはそうせざるを得ない部分があるように思います。

コメントありがとうございました。

投稿: なんちゃん | 2005/05/10 13:28

私は15年ほど不登校の親の会をしています。不登校や引きこもりの人たちがマイナスの印象で語られることを疑問に思って会を運営しています。
親たちはみな不登校や引きこもりをよくないことと思っています。それが会に参加して、不登校や引きこもりは別に人に迷惑をかけているわけでもないし、気が向いたら外に出ればいいと思えるようになると、不登校や引きこもりの本人もとても楽に生きていけるようになります。
家族が不登校や引きこもりを不本意なことという思いを引きずっている限り、いつまでも普通の家族関係、人間関係が作れないのです。
鎌田実の「がんばらない」を会で紹介して話し合いましたが、こんど「ぺてるの家」の本も会で話し合いたいと思っています。

投稿: 宮内正男 | 2006/07/24 07:03

○宮内さん
ようこそいらっしゃいました。
自分は不登校や引きこもりのできる子は能力のある子だと思っています。小さい頃は人の力、特に親の力をも自分の力だと思います。万能感があります。人とつるんでいないとダメな人はいつまでも他人の力を自分の力だとおもってそこから抜けられないのではないかなと感じるのです。

今は親の努力ではどうしようもないくらい自立を阻害する社会になっています。他人の力を頼る子であればあるほど管理者にとっては管理しやすいからです。そんな中で自己を確立しようとすると引きこもってでも自分自身と向き合うしかないと思います。だから引きこもりの子はむしろ引きこもってでも自我を確立しようと言う能力のある子なのだと感じています。自分で殻を破って出てきた時には一皮もふた皮もむけて出てくるのではないかと思います。

おっしゃるとおり親がそこに理解を示せないと事態は悪化するでしょう。自分は高岡健さんの著書からそういう見立てをするようになりました。「がんばらない」と言うキーワードはいいと思います。べてるの場合は「サボタージュOK」ですから。人生一時、安心してサボらせてあげられるといいですね。

コメントありがとうございました。

投稿: なんちゃん | 2006/07/25 06:10

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