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2005/01/15

誰のための少子化議論(少子化その2)

予告通り、ここでは新聞の論評について書きたいと思います。

年頭から各新聞が少子化を取り上げているようです。日経新聞と東京新聞は一面の連載記事として少子化を取り上げてきました。(日経はまだ続いている)

すてきな奥さんなれるかな: 見出しとリードしか読まずに新聞記事を批判してみる。

少子化について書こうと思ったのは、上記わさびさんの記事に触発されたからです。毎日新聞は読んでいないので自分はなんとも言えないのですが・・・。東京新聞は購読していないので、10日月曜日に川口駅まで自転車で行って、駅売りのものを買ってきました。その記事だけでものを書きます。日経は購読して毎日読んでいます。

どちらを見ても、少子化の議論と言うのは誰の為になされているんだろうと感じます。日本経済がこれからも成長していく為?まさか年金財源の稼ぎ手を増やさなければなんていう議論じゃないだろうな?といつも身構えてしまいます。日経の1月8日の記事では自民党の柴山昌彦議員が党内の子育て小委員会で「暴論ではあるが独身税をやってはどうか」と発言したとの事。「子供を持たない人には将来世代の分まで多く負担してもらおうと言う案」だそうだが、冗談じゃない。柴山といえば先だっての衆議院埼玉8区(主に所沢)の補欠選挙で当選した奴じゃないか。39歳と言う年齢のくせして何にも分かっていない。

少々脱線しますが、自分は今の政界では対立軸はイデオロギーではないと考えています。(それが問題と言う人もいるでしょうがさておき)「都市」と「地方」(地方と言うと田舎のイメージがあるかもしれませんが、違います。「大都市圏」と「それ以外の地方都市」と考えてください。郵政民営化反対議員がよく言う離島や山間部などの過疎地のことではないんです。)そして世代間対立です。都市と地方の差については一票の重みが違うことでハンディがつけられています。現行の5倍以上の格差は異常にしても3倍くらいだったら許せると思います。同じことを世代間対立にも当てはめるべきです。例えば0歳児まで参政権を与えて、例えば18歳なり15歳なり以下の子供の票は親が持つ。このくらいで丁度勢力が拮抗するのではないでしょうか。現行制度では老人の意見ばかり通って不公平極まりないです。柴山よ。おまえ39歳だったらそのくらいの視点を持てよ。国民資産1400兆円の半分は60歳以上の人が持っているんだぞ。暴論返しすれば年金暮らしの人々が将来のことなんか考えるもんか。(あくまでも暴論返しですよ・・・)

閑話休題。

1月8日の回では、自分と同じような発想の人が結構いることを紹介しています。タイトルは「老老政治いつまで」。
その上でまず今の若い人たちの力をどう伸ばしていくか考えようと言うのが両紙の流れのようです。東京新聞では職業についていない若者たちが将来技術も経験も無く年をとり、やがてホームレスになっていくのではとの問題提起に続き「失敗してもリターンマッチできる社会を」との提案をしています。確かに自分たちが就職する頃までは、就職は一発勝負でした。それでも勝負できたから良かったけれど、いまや勝負をさせてくれない、即戦力・経験者ばかり求める社会になって失敗するチャンスも無い。

少子化がだめと言うのではなくそれなら身の丈にあわせようという企業の動きも紹介されています。(1月12日)

しかしそれにつけても官の動きは鈍い。バブル崩壊後の日本は民間の不良債権処理でアップアップしていましたが、いよいよ官の不良債権処理が始まるのではないかと思わされます。自分もいつか書こうと思っていた佐賀空港。佐賀駅からバスで600円かかるこの空港には東京行き2便と大阪行き2便しか来ないです。かたや西鉄ご自慢の1000円高速バスで1時間揺られれば福岡空港。沖縄から札幌まで各地へいけて東京行きは本数もさることながらスカイマークが入って料金も安く、さらには国際線も乗り入れています。佐賀空港の赤字は毎年3億円だそうです。(1月9日)少子化対策の名目で他の公共事業を公園建設などに振り替えているとか首都高速道路公団は修繕費用を積み立てていない(1月9日)というにいたってはため息。修繕費を引き当てていないということは、民間ならすでに計上済みの退職給付引当金も積んでないのでしょう。郵便局もさかんに「局員の給料は税金ではなく事業収益でまかなっています」とポスターまで作っているけれど、退職給付は積んでいるの?それは税金とか言わないでよ。財政投融資の貸し倒れや国債の値下がりに引当金なんて積んでいないでしょうね。積み立てが必要な様々な費用を引き当てたら、今は黒字とうそぶいている官営事業は軒並み赤字なのではと見ているのは自分だけではないでしょう。老老政治がまかり通る限りこの責任はだれもとらず、税金が垂れ流しされていくのでは。

ちょっと長くなりすぎました。批評と言うか引用ばかりになってしまった。記事についての印象ということであれば、一言やはり「誰の為の少子化議論かわからない記事」かな。それを言うなら自分の書いているこの批評も誰の為か分からないか・・・。なんだか結局自分たち子供を生む世代が責められているような気がしてしまうのですよ。どうでしょうか?

午後2じです。一眠りした後でもう一度考えて付け足しします。
誰の為の少子化議論かと言うことを考える為には一歩踏み込んで誰の為の国家なのかと言うことを考えなければいけない気がします。地球規模で言えばまだまだ人口は増え続けるのですから、「国」と言う枠組みが我々にとってどういう意味があるのか考えなければいけないのだと思います。今まで日本は(本当は違うけれど)単一民族国家と言う幻想を抱いてここまできました。民族の為の国家なのかと考えると、外国人労働者(単純労働者ばかりでなく、経済の発展に必要不可欠な技術者やこれから受け入れることになる看護や介護を担う人も含みます)や在日の人々に対して冷たい理由も分かる気がします。しかし民族と言うことにこだわる限り国力の衰退は避けられません。アメリカが力を持ち続けるのは、多様な民族からなる移民国家だからと言う面が大きいのではないでしょうか。一民族で構成されている国なんて数えるほどしかありません(日本だって実際はちがいます)。多様な民族・価値観を共有しその中で国としてのアイデンテティは何なのか、移民大国カナダやアメリカやオーストラリアと比較して何が日本の発展を統べるモチベーションなのかを考えれば、国家と言うサービス体や歴史教育のあり方にまで、ある道筋が付けられるのではないかと思います。しかしそんな議論はまだ始まっていません。

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